アムウェイで壊れた2人の友情

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アムウェイを初めて知ったのは、高校三年生の時でした。

バイト先の阿部さんという38歳の女性がアムウェイをやっていました。

阿部さんは乳がんを患って左乳房を切除しており、保険のきかない高額な再生手術をするためにお金を貯めているとのことでした。

最初はアムウェイの勧誘だと気づかなかった

阿部さんは、このクレンザーで10円玉がピカピカになるんだよ、とか、この食器洗い洗剤はきれいに流れてお皿に残らないんだよ、とかみんなの目の前でやってみせたりしてました。

当時、ネットワークビジネスというものを知らず、自分が勧誘されているということにも気がつかなかった私は、普通に「すごーい!」とか驚いたり感動したり。

バイト先のパートのおばちゃんとかドライバーさんとか、乳がんになって困っている阿部さんを少しでも助けたいと、アムウェイの商品を積極的に買ってあげていました。

私も協力するつもりで、500円のシャンプーと、500円のコンディショナーを1つずつ、1000円ぐらい買いました。

当時、月のお小遣いが5000円だった高校生の私は、シャンプーなんかはお母さんがスーパーで買ってきてお風呂に置いてあったのをタダで使っていたので、自分のお小遣いでシャンプーやコンディショナーに千円も使うというのはすごい出費でした。

大親友、京子ちゃんとの出会い

それから上京して、大学を卒業して、就職して数年してから、職場で京子ちゃんと言う子と出逢います。私が25歳ぐらいで、京子ちゃんが23歳ぐらいの時だったと思います。

京子ちゃんとはすぐ打ち解けて仲良くなり、同じ職場で同じ興味を持ち、2人とも実家が神社で親近感もあり、プライベートでも飲みに行ったり、家に行ったり、よく遊ぶようになりました。

職場で週5日一緒にいるのに、おたがいの彼氏をそっちのけで、会社が休みの日にも京子ちゃんと会う。

お金を貯めて2人でロサンゼルスに海外旅行に行く。

私たちはカラオケが大好きで、お昼の12時から夜の8時まで8時間歌い放題で1000円とかの激安サービスを利用し、8時間の間一度も途切れることなく歌い倒しました。

8時間はあっという間に過ぎ、それでも歌い足りず、「どうする?延長する?」と1時間延長したり。

延長した直後、「私たち、バカなの?!」とゲラゲラ笑ったり。

2人は何時間一緒にいてもずーっと楽しく、疲れず、話しても話しても話が尽きない、とても大事な友達どうしでした。

京子ちゃん、アムウェイを再開

その京子ちゃんは、昔アムウェイをやっていたといって、よくおもしろおかしくアムウェイの話をして私を笑わせてくれました。

大きな浄水器をリュックに入れ、背中に背負って玄関を叩いて直談判で売り歩くとか、超高級ホテルのスイートルームに40人とか、50人とかで割り勘で宿泊して雑魚寝し、「将来こういうホテルに泊まれるようになる」と士気を高め合うとか。

京子ちゃんの話を聞きながら、初めて私は、高校生だった時、阿部さんに勧められたアムウェイがネットワークビジネスであり、私が買ったシャンプー代が、阿部さんの上の人や、上の上の人や、上の上の上の人に行くシステムだということを知ります。

「3人育てれば働かなくてもよくなるのよ」

と、かつて阿部さんが言っていたのを思い出し、「ああ、あれは私が勧誘されていたんだ」と、7年以上も経った後に初めて気がつきました。

そんな感じで大親友だった京子ちゃんですが、ある日、アムウェイをまたやると言い出します。

あれほど辛かった、嫌だったと言っていたのに。

断っても断っても、しつこく勧誘

再開のきっかけは、昔つながりのあったアムウェイの先輩から久しぶりに電話があり、またがんばってみようという気持ちになったから、ということでした。

アムウェイをがんばれば大金持ちになれる、ということらしいです。

そして京子ちゃんがアムウェイを再開すると、私を繰り返しアムウェイに誘うようになりました。

アムウェイの仕組みを知って、絶対にやりたくないと思った私は、「私はやらないよ」と京子ちゃんに伝え、はっきり断ります。

それでも京子ちゃんは諦めない。

当時、私たちは一緒に働いていた会社を2人ともやめていて、お互いに別の仕事をしていました。

なので京子ちゃんに会う頻度は減っていたのですが、私と会う時、京子ちゃんは確実に私をアムウェイに誘うようになっていました。

もう、それしか頭にないみたいに。

待ち合わせすると「知らない人」がいる

京子ちゃんがアムウェイをもう一度やろうと思う、という話を聞いてから、私は「やめなよ」「あんなに大変だって言ってたじゃん」とやんわり止めたり、「私はやらないよ」と断ったりしていたのですが、とりあえず、そこまではよかった。

極め付けはここからです。

ある日、東京品川のホテルのランチビュッフェをしようと京子ちゃんと駅前で待ち合わせをした時、知らないおっさんが待ち合わせ場所にやって来ました。

「この人、私の先輩なの」

そう紹介されて、そこからは2人体制で、囲い込み勧誘攻撃を受けます。

おっさんと言っても、当時25歳の私から見ておっさんだっただけで、おそらく30代後半ぐらいの人だったと思うのですが、京子ちゃんから私のことを詳しく聞きいていたのか、私のことをいろいろ知っていて、馴れ馴れしくてイヤな感じがしました。

せっかく楽しみにしていたホテルのランチビュッフェがアムウェイの勧誘場所に代わり、めちゃくちゃイヤでした。イヤでしたけど、その日は予定通りご飯を食べ、解散しました。

数週間後、また京子ちゃんと会う約束をします。

そしてそれが、京子ちゃんとの最後の日になりました。

もちろんそんなことになるなんて、会う直前までは想像もしていませんでした。

アムウェイのおっさん、親友の部屋で待ち伏せ

品川ランチの数週間後、私と、もう1人仲の良かった青ちゃんという友達と、「京子ちゃんちでお鍋しよう!」ということになり、休みの日に京子ちゃんの家に集合しました。

そしたらなんとなんと、あの時品川で会ったアムウェイのおっさんが、京子ちゃんちで待機していたのです。

蟻地獄かよ。。。

私と青ちゃんはおっさんが来ることを知らされていなかったので、本当にびっくりしました。

私は、京子ちゃんと、青ちゃんと3人でお鍋をするつもりで楽しみで来たのに、集まった理由が実はアムウェイの勧誘だった、というのもショックです。

京子ちゃんが私たちを騙すような形で誘ったことにも腹が立ちました。

もう私たちは普通の友人関係には戻れない。

私は家には入らず、何も言わず、その場でくるりと背を向けて家に帰りました。

そして、それが京子ちゃんとの最後の日になりました。

その後、京子ちゃんから連絡があったのか、なかったのか、もう覚えていません。でもとにかく京子ちゃんに会うと、必ずアムウェイに誘われ、私がイヤな思いをします。

京子ちゃんが私と会う目的が、2人で楽しい時間を過ごすことではなく、私をアムウェイに誘うことに変わってしまいました。

そしてアムウェイに誘われたくない私には、もう京子ちゃんとは会いたくなくなってしまいました。

2人の信頼関係も、友情も壊れた

あの日、京子ちゃんちでアムウェイのおっさんが待機しているのを見た瞬間に、私たちの友情も、信頼関係も壊れたのだと思います。

京子ちゃんとは本当に仲が良かったし、趣味や興味がいっしょ、疑問を持つこともいっしょ、姉と妹のような関係で、お互いに意見をいうことはあっても、喧嘩したことは一度もなかった。

それが、アムウェイに関わることで、2度と会えない関係に変わってしまいました。

今どうしてるんだろう、京子ちゃん。

たぶんアムウェイはやめている気がします。

もしあのおっさんが京子ちゃんに「久しぶりの電話」をしていなければ、

京子ちゃんがそれに乗ってアムウェイを再開していなければ、

私たちはきっと今でも、仲の良い友達関係を続けていたはず、と思えて仕方ありません。

なので、今でも当時のことを思い出すと、少し寂しい気持ちになります。

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コメント

  1. リオ より:

    >待ち合わせすると「知らない人」がいる…

     …全く同じことが、こちらで「親友」と思っていた日本人ママ友とも間で起こりました。

      彼女がその「マルチ」にハマった理由はずばり

     「家族旅行をするオカネが無いから」

      …と言うか、普段から直ぐ

      「オカネな~い」

      …が『口癖』の人だったんですが、ある程度親しくなった周囲としては、彼女の実家、旦那の実家も含め凄い大金持ちであることを知っていたんです。

      と言うか、その時も10部屋ある家を「キャッシュ」で買ったり、親が送ってくれた「孫の高等教育資金」なるものを、

     「手持ちの口座が『限度額』一杯で入れられないから、

      別の銀行で新しい口座を開くの~!」

      …とサラッと言ったり……!

      で、当時「生活保護」を受けていた私に、入会金£1500の「会員権」を何度も勧めて来るという……!

      狭いコミュニティーなので皆「完全無視」はしていませんが、今は他の人達も完全に……見事に『一定の距離』を保つようになりましたね……!