今日、土鍋でごはんを炊いた。
炊飯器はあるんだけど、ちょっとだけ炊きたかったので、小さい土鍋を使った。
お水の量、お米の1.2倍?
土鍋の内側にはお水をここまで入れるっていう線がないから、水の量は自力で測らなくちゃいけない。
1.2倍って、軽量カップで計るんだよね?。
重さじゃないよね?
ググって、トップに出てきた記事にお米の計量カップの1.2倍だから1カップに対して218mlだって書いてあったのを見つける。
私がこれから炊くお米の量は0.5合だから、109ml。
でも待てよ。
それは、お米をといだ時の水は含まれるのか?
まあ、そんなウダウダがありながら、無事にお米と水を測ってコンロにかけたあと、YouTubeを開き、没頭して見ていた。
あ、やばい、と気がついてご飯を見に行ったら、
土鍋の蓋の隙間から、うっすらとケムリがあがっている。
これ、ケムリだよね。。。蒸気じゃないよね。。。
蓋を開けてみると、下半分が真っ黒コゲ。。。
あーあ。。。
せっかく久しぶりに土鍋でごはん炊いたのに。。。
Siriにタイマーお願いすればよかった。。。
土鍋は出来上がっても自動で切れないしね〜。。。
そんなことを考えながら、焦げなかった上の部分をそうっとお茶碗によそってみたけど、焦げてない部分も、だいぶ煙が回ってすごく焦げ臭かった。
炊飯器がまだ開発されてなくて、かまどでご飯を炊いていた時代には、ごはんが失敗するということは今よりずっと多かったはずだ。
失敗して人々が困っていたから、炊飯器が開発され、それをほぼすべてのご家庭が購入し、炊飯器の内側には必ずお水の線がついていて、炊けたら必ず自動的にスイッチが切れる設計になっているのだ。
そして炊飯器が登場すると、焦げたご飯は世の中から姿を消した(と推察する)。
当時の人々は、ごはんは炊飯器で炊くと失敗がなくていつもおいしい、と言って感動しながら食べていたんじゃないかと思う。
そして、私がいま食べているこのごはん。
土鍋で炊いたら、おいしくなるどころか焦がしてケムリ臭くなってるやつ。
まずすぎる、と言われるのが当然のごはんなんだけど、たとえば、
戦争中、食べ物のない時代だったらどうだろう?
ずっと前に聞いたどこかのおばあちゃんの話で、小さいころ戦争中の疎開先で食べ物がなく、お腹が空いて歯磨き粉をなめていたと言うのがあったけど
歯磨き粉をなめているその最中に、このケムリ臭いお茶碗一杯のごはんを私がもし、その子に差し出したら?
炊飯器の登場で、ごはんが失敗なく炊けるようになり、焦げたごはんは世の中から消えて、おいしいごはんだけが生き残った。
そしたら人は、「土鍋で炊いたごはんがおいしい」と言う。
人がおいしいものを追い求めていった結果、世の中においしいものばかりが溢れるようになり、そしたら今度はおいしいものをおいしと思わなくなって、おいしいものが遠ざかってしまう。
ケムリくさいご飯を食べながら、ぼんやりとそんなことを考えてました。
あともうひとつ、オマケ。
焦げ臭いご飯をお味噌汁やおかずといっしょに食べながら、昔のカレシと行った川辺のキャンプで、カレーを作ったことを思い出す。
彼の名前はヒロシくん。
焚き火でつくったカレーは底が焦げてしまい、焦げ臭くて食べられないと言って、ヒロシくんは鍋をひっくり返してカレーを全部捨ててしまった。
川辺で野菜やお肉を切り、火を起こして具材を炒め、お水を入れて、煮込んで、やっとできたカレーだったのに。
「いいよね?」
「うん」
というやりとりはあったから、一応、私も捨てることに同意はしたんだけど。
そんなにさっさと捨てちゃうんだ、って思って、びっくりして、ちょっと傷ついた。
ヒロシくん、覚えていないだろうなあ。
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